安土城跡を歩く
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織田信長公が天下統一を目標に天正四年(1576年)1月17日、重臣である丹波長秀を総普請奉行に

据え、標高199mの安土山に築城させた平山城。

岐阜城よりも京に近い利便性があり、北陸・東海の要所であった。

現在は四方とも干拓により陸地となっているが、当時は琵琶湖の内湖に囲まれ、南方のみが開けた地形であった。

 そのわずか3年後天正75月、わが国で初めて天守閣をもつ安土城が一応の完成をみせた。

ところが、天守完成から3年目の天正10年(1582年)62日未明、明智光秀の謀反により、信長公は京都・本能寺で自刃(49才)

混乱の中、615日に天守などを消失、一夜のうちに落城した。